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福岡地方裁判所小倉支部 昭和42年(わ)101号 判決 1968年11月20日

被告人 山口末喜 杉野雅憲

主文

被告人山口末喜、同杉野雅憲をそれぞれ罰金二、〇〇〇円に処する。

被告人らにおいて右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置する。

訴訟費用中、証人樋口久吉、石川八郎、三浦静男に支給した分は被告人らの連帯負担とする。

本件公訴事実中、公職選挙法違反の点については被告人らはいずれも無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人山口末喜、同杉野雅憲は氏名不詳者二名と共謀のうえ、昭和四二年二月一七日午前一時五〇分ころ、北九州市戸畑区大字中原一、一一〇番地八幡製鉄株式会社一枝寮内に、管理人の許可を受けないで、故なく侵入したもである。

(証拠の標目)<省略>

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人らの本件一枝寮に対する立入り行為は目的において正当であり、その態様においてもなんら不穏当なものでなく、かつ一枝寮は労働基準法九四条の寄宿舎であつて、労働者の私生活の自由が保障され八幡製鉄株式会社の管理には服していないのであつて、そのため従来から労働運動としてのビラ配付などのために本件と同様の態様で立入ることが認められ、これが慣行となつていたのであるから、可罰的違法性を欠くと主張するので、この点につき検討する。

前記証拠によると、被告人らの立入つた一枝寮は事務室、宿直室等のある平家建の建物の両側に渡り廊下をへだてて鉄筋七階建の寮舎が各一棟あり、右寮舎への出入りはすべて右事務室等のある建物の表玄関からなされるようになつていること、右表玄関の扉の外側には「外来者の無断立入りを禁じます。外来者は必ず事務室に届出て許可を受けて下さい。」等と書いた立札が立てられ、さらに表玄関内にある事務室の受付窓口には「寮生に面会しようとする人は寮務主任に届出て面会簿に必要事項を記入して下さい。面会時間は九時から二二時までとなつております。」等と書かれた面会者心得があること、しかし寮生の勤務が三交替で甲番が午前六時から午後二時まで乙番が午後二時から午後一〇時まで丙番が午後一〇時から翌日午前六時までとなつている関係上、表玄関の扉は終日施錠しないままになつていること、そのため午後一〇時以後も事務室から五メートル位奥にある宿直室に当直がいて外来者の受付をしていること、しかるに被告人らは右当直の許可を受けることなく深夜表玄関の扉を開けて無断で立入り渡り廊下を通つて寮舎の各部屋に扉の隙間から別紙記載のビラを投げ入れたことがそれぞれ認められる。

もつとも、前記証拠によると、これまで春闘や組合役員選挙の際に、外部から受付に無断で寮内にビラが配られたり、寮生の友人で残業したり終電車に乗りおくれた者が受付に無断で寮室に泊つていたことがときたまあつたが、寮の管理人においてこれを黙認したりあるいは慣行として許していたことはなく、かえつて見付け次第注意していたことが認められる。

以上認定の事実に徴すると、被告人らの一枝寮に対する本件立入り行為は、右一枝寮が労働基準法九四条の寄宿舎であるとしても、その立入り目的の如何にかかわらず、その態様において、社会通念上相当として許容される限度を逸脱していたものと認めるのが相当であるから、弁護人の右主張は採用しない。

(法令の適用)

被告人らの判示所為は刑法一三〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号、刑法六〇条に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人両名をそれぞれ罰金二、〇〇〇円に処し、被告人らにおいて右罰金を完納することができないときは刑法一八条により金五〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用のうち主文掲記の証人に支給した分は刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により被告人らに連帯して負担させることとする。

(無罪部分の理由)

本件公訴事実中、公職選挙法違反の公訴事実の要旨は

被告人両名は氏名不詳者二名と共謀のうえ、昭和四二年二月二三日施行の北九州市長選挙に立候補した吉田法晴の当選を得しめる目的をもつて、同月一七日午前一時五〇分ころ、北九州市戸畑区大字中原一、一一〇番地八幡製鉄株式会社一枝寮において、「北九州市長選挙は革新市長が再現されるか資本家のお先棒をかつぐ金権市長が新たに生れるか。」「北九州市を汚職と腐敗の資本家の代弁者の市政にぬりかえられることなく今こそ青年労働者のど根性を示し革新市政を守つていこうではありませんか。」などと記載した革新市政を守る青年の会発行名義の「市長を造る八幡製鉄」と題する法定外選挙運動用文書を右一枝寮井上智行外一六一名の寮室一〇二室に投入頒布したものである。

というのである。

本件各証拠によると、右公訴事実は被告人らの頒布した文書が法定外選挙運動用文書であるかどうかの点を除き、すべてこれを認めることができる。

そこで、本件の争点である被告人らの頒布した文書(以下本件文書という)が公職選挙法一四二条一項の選挙運動に使用する文書であるかどうかについて判断する。

おもうに、公職選挙法一四二条一項の選挙運動のために使用する文書であるためには、頒布をうけた者において、その文書が特定の選挙において特定の候補者の当選を得しめるために使用されるものであることを推知できるものでなければならない。

ところで、証拠によると、本件の北九州市長選挙には自由民主党および民主社会党の推せん候補として谷伍平、日本社会党の公認候補として現職の吉田法晴、日本共産党の公認候補として多田隈博之の三名が立候補していたことが認められるところ、本件文書は「市長を造る八幡製鉄」と題して別紙のとおり記載されており、その記載の体裁からみて、八幡製鉄株式会社が職場においてあるいは社宅、寮において職制を利用して谷候補のために露骨に選挙運動をしている事実を抗議することを主たる内容とするものであつて、これに附随して北九州市を資本の代弁者である谷候補にまかせることなく革新市政を守つていこうと訴えているものであつて、右文書中の「吉田市政批判を加える。」との記載は、八幡製鉄株式会社の職制にあるものが谷候補のために選挙運動をする際、現職の吉田市政を批判しているとの事実の記載にすぎず、右記載から直ちに本件文書を吉田候補のための文書と推定することはできず、また右文書中の「革新市政が再現されるか。」とか「革新市政を守つていこう。」との記載も、それ自体では、日本社会党から立候補した吉田候補のみならず日本共産党から立候補した多田隈候補が当選した場合にも適用する用語であるから、右記載からも直ちに本件文書を吉田候補のための文書と推測することもできないのであつて、結局、本件文書は、それ自体では、同じ革新系候補である吉田候補の選挙運動のために使用する文書であるか多田隈候補の選挙運動のために使用する文書であるか推知できないものといわなければならない。このことは、かりに被告人らが本件文書を多田隈候補の当選を得しめる目的で頒布したと仮定すると、本件文書が多田隈候補の選挙運動のための文書ともうけとれることによつても明らかである。

そうすると、本件文書は、それ自体では、いかなる特定の候補者の選挙運動のために使用する文書であるか推知できないものといわなければならない。

もつとも、証拠によると、本件文書が頒布された場所は八幡製鉄株式会社の独身寮であつて右寮に居住する者はほとんど八幡製鉄労働組合の組合員であること、また本件文書が頒布された時期は投票日の約一週間前でそのころには多田隈候補は大勢からみてほとんど当選圏外にあつたことが認められるけれども、八幡製鉄労働組合においては前回の北九州市長選挙において吉田候補を推せんしながら今回の選挙においてはどの候補も推せんせず投票を組合員の自主性にまかせていたことが証拠によつてうかがわれ、かつ右組合員の中に多田隈候補を支持していたものが全くいなかつた証拠も存在しないので、本件文書の頒布された場所、時期を考慮しても、なお本件文書をもつて、これを見る者に吉田候補の選挙運動のためにのみ使用する文書であると推測させることはできないものといわなければならない。

以上のとおり、結局本件文書は、いかなる特定の候補者のために使用する文書であるか推知できないので、公職選挙法一四二条一項の選挙運動のために使用する文書にはあたらないといわなければならない。

なお、本件文書は、選挙運動期間中に頒布されたものであるから、公職選挙法一四六条一項のいわゆる脱法文書にあたるかどうかについて検討する。

公職選挙法一四六条一項のいわゆる脱法文書であるためには、その文書に、当選を得しめることを目的とする候補者の氏名、政党その他の政治団体の名称または右候補者を推せんし支持する者の名もしくは当選を得しめないことを目的とする候補者に反対する者の名が表示されていなければならない。

ところで、本件文書には、被告人らにおいて当選を得しめることを目的とする吉田候補の氏名、所属政党その他の政治団体の名称は何ら表示されていない。(本件文書中の「吉田市政批判を加える。」との記載が右に該当しないことは前記説示のとおりである。)もつとも、証拠によると、本件文書の末尾に記載されている「革新市政を守る青年の会」は、被告人らを含めて吉田候補を推せんし支持する青年層によつて同候補の選挙運動をするために結成されたグループであることが認められる。

しかしながら、いわゆる脱法文書であるためには、その文書の頒布をうけた者において、公職の候補者を推せんし支持する者の名称から、それがいかなる特定の候補者を推せんし支持するものであるかを推測することができなければならないと解すべきところ、本件文書に表示された右「革新市政を守る青年の会」なる名称からは、他に特段の事情が認められない限り(たとえば吉田候補の演説会場で本件文書を聴衆に頒布したような場合には、右「革新市政を守る青年の会」が吉田候補を推せんし支持する者の名称であると推測できるであろう)吉田候補を推せんし支持する者であると推測することはできないのであつて、本件においては右のような特段の事情は何ら認められない。

また右「革新市政を守る青年の会」なる名称を被告人らにおいて当選を得しめないことを目的とする谷候補に反対する者の名称であるとしても、いわゆる脱法文書であるためには、公職の候補者に反対する者の名を表示することによつて、他の特定の候補者の当選に資する情況が認められなければならないのであつて、右「革新市政を守る青年の会」なる表示によつて、本件文書は、革新系候補一般の当選に資することがあつても、吉田候補のみの当選に資する情況は何ら認められない。

そうすると、本件文書は公職選挙法一四六条一項のいわゆる脱法文書にもあたらないといわなければならない。

よつて被告人らの本件文書の頒布行為は結局罪とならないので、刑事訴訟法三三六条前段により無罪の言渡をすることとする。

(裁判官 塩田駿一)

(別紙) 市長を造る八幡製鉄

寮生の皆さん

毎日お勤め御苦労様です。

今や私達青年は大きな不安と斗つています。

一つは職場における不安です。生産性アツプによる労働強化、労働災害の続発、遠隔地(君津、堺、光)工場の操業による大量配転等。又一つは生活の不安、米、酒、タバコの諸物価、健保料金(被保険者の自己負担)、公共料金等の値上り、在寮中はさほど感じなかつたが、寮費の値上げ、生活苦は必至な状勢となつてきました。

この中にむかえる北九州市長選挙は革新市長が再現されるか、資本家のお先棒かつぐ金権市長が新たに生れるか。選挙活動が、激烈になる程、権力の横暴が激度を加えています。

八幡製鉄は鉄を造るだけかと思つたら、市長造りもやつているといわれます。社宅の管理人は強制的に谷の後援会の勧誘に歩き、かつての寮の自治会の役員で全寮会議「OB会」を組織し、職場では労働部が作業長を通じて、青年層、壮年層対象に学習会を各番毎に催し、常昼勤は二時間の社用早退で参加させ、吉田市政批判を加える。又一方労働組合の一部幹部は自民党も推せんする候補と一緒に各門に立ち、労働組合の本質から逸脱した運動が展開されています。

青年の皆さん

職場では労働戦線の第一線で青年の若いエネルギーと英敏な頭脳が要求され、体制的合理化への矢面に立たされています。北九州市を汚職と腐敗の資本の代弁者の市政にぬりかえられることなく、今こそ青年労働者のど根性を示し革新市政を守つていこうではありませんか。

革新市政を守る青年の会

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
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